ニュースメディアへのあるべき距離感について

この記事は約4分で読めます。

今日は、以下のような日本駐在のフランス人ジャーナリストの記事を紹介したいと思います。

政権交代でも思考停止の日本メディア [ニューズウィーク日本版]

まずは記事を読んで頂きたいと思います。

この方が言っていることは、日本のマスメディアの持つ構造的問題の「ある一面」を鋭く批判したものではあると思います。それは、「事実(またはその一部)を書くだけで、それが読者にとってどんな意味を持つのか、考えさせるような記事を書かない」という問題です。つまり、「事実を伝えるだけで、思考を促すような問題提起をしない(できない)」という指摘です。

これはまさにその通りだと思います。よく「日本人の主張は曖昧模糊としてはっきりしない」と言われます。けれども、こと報道に関して言うならば、この記事の後半に記されているように「白か黒か」の二者択一的な主張ばかりだと言えます。別の言葉で言うならば「好きか、嫌いか」です。

そして、そのような報道になれきっている人に一言、「なぜそうなの?」と聞くと、多くの場合出てくるのは「なんとなく」であるとか、「テレビや新聞で言っていた」といった言葉です。ですから「曖昧模糊としている」のは、その「主張」ではなく、「主張に至るプロセス」だと言えるのではないでしょうか。その点で言うならば、曖昧模糊というよりもむしろ、様々な情報を総合して主体的に思考し、論拠立てて結論を出すというプロセスが、すっぽりと抜け落ちているのが日本人の特質だと言えるのではないでしょうか。

私たちは、メディアにたいして、どのような理解を持ち、どうその発信を取り込んでいくべきでしょうか。本来であれば

事実 →(バイアス)→ 報道 →(取捨選択・バイアス) → 思考・総合 → 決断

という流れで、自分は決断を下しているのだと理解すべきでしょう。ところが無意識のうちに、

事実 = 報道 = 決断

となってしまっている人がいます。事実と報道の間のバイアス、また報道を見たときに自身で行っている取捨選択・バイアス、この両者の存在を感知せず、そしてそれを思考するというプロセスが全て無くなっているのです。これは非常に危険な状態だと言えるでしょう。なぜなら、「思考し、総合し、決断する」という自己の主体性を、メディアという他者に売り渡してしまっていることになるからです。戦争中の日本人はまさにこうでした。そして現代でもそれはあまり変わっていないように思えます。日本人だけでなく、9・11の後、イラク戦争に突き進んでいった時のアメリカ国民も、私の目には全く同じに映りました。メディアの持つ印象操作力には、空恐ろしさを感じたものです。

けれども、もし私たちがまともなメディアリテラシーを有しているならば、「事実=報道」という等式は絶対に成り立たないものであることをよくわきまえ、注意深く、時には疑い深く報道に接し、安易に迎合せず、思考し、総合する過程を重要視するはずです。とりわけ「テレビ」については、非常に注意深く接する必要があるでしょう。テレビは完全に受動的な媒体であり、音声と動画像を組み合わせた印象操作力は他のメディアに比べて並外れて高く、メディアを握った者の「見せ方」次第で、上記のような「事実=報道=決断」という人を簡単に操作できる可能性をもつものだと思っているからです。しかも、最も問題なのは、「当の本人はそのような印象操作を受けていることに気づいていない」ということなのです。

その点新聞はまだ、読み手に主体性を残すメディアだと思いますし、何より思考を促すという点ですぐれたメディアだと思います。ですから我が家では、テレビは置かないが新聞は取る、というスタイルを貫いているのです。もちろん冒頭の記事にあるように、新聞記者とて常に信頼に足る訳ではありません。「事実をただ伝えるだけ」の報道などは、私も読む前からネットで知っていることが多く、まさに「ナナメ読み」「飛び石読み」です。しかも、論拠もなくただ主張しているだけのキャンペーン記事も多くあります(得てして「社説」などはその手の記事が多い)。

けれども変化の兆しもあります。骨太の特集記事、あるいは半年前くらいから始まった、”The Asahi-Shinbun Globe” などは、私にとっては本当に大切な情報源であり、人生の幅を広げてくれるものです。 特に後者は、本紙とは別刷りでレイアウトも従来の新聞とは全く違うデザイナブルなものであり、扱う内容も「原油問題」「温暖化」「中国の経済の現状」「世界の教育の潮流」など非常に有益です。しかもただ主張するのではなく、根拠となるデータをあげて説明している点が優れています。

このような取り組みから受けるのは、

新聞社も変化しようとしている

という印象です。冒頭の記事が日本のメディアの「ある一面を批判している」と述べたのは、このような努力もしていることを知っているからです。全部がダメなのではない、ということです。ですから、良い部分は正当に評価し、悪い部分については「かくあるべき」という姿を示すこと。これが大切だと思います

結論としては、

1.一つのメディアだけに頼らない。特にテレビに対しては格別の注意が必要である。新聞・ネットなど幅広いメディアを参照する。
2.報道には常にメディアを握る者によるバイアス(偏向)があることを肝に銘じる。
3.報道をそのまま自分の決断に無批判に取り入れていないか、常に自己吟味する。
4.なぜそう決断するのか、を常に説明できるような形で持っておく。そのためにいつも思考する癖を付ける。

ということになるでしょうか。

まとまりのない文章にお付き合い下さり感謝!

コメント

  1. テラモト より:

    本日は電話で失礼しました。
    ご親切に対応していただきありがとうございます。
    疑問が解けたので少し安心いたしましたが、
    まだまだ分からないことが一杯あって、
    そのどれもが答えにくいことのようです。
    近くに良い導き手がいないのが残念です。
    イエスさんには縁がないのかも知れません?
    今はそんな気持ちです。
    信仰と希望と愛=良いお名前ですね。
    では御礼まで。

  2. 管理人 より:

    テラモトさんへ
    コメント頂戴しまして、ありがとうございました!
    ご質問は大歓迎ですので、ぜひお寄せ下さい。
    メールでも結構です。
    教会のお問い合わせフォームにご記入下されば、
    直接私の方にも届きますので。
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