書評「11の国のアメリカ史」(コリン・ウッダード著)

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「アメリカ」という国は、色々な意味で話題に上る国であることは間違いないでしょう。とりわけ、トランプ大統領の就任は私たち日本人にとっても衝撃でしたし、当のアメリカ人にとってさえ、少なからずそういう面があったと思われます。なぜ彼のような人が大統領になる(なれる)のか。なぜ「ラストベルト(さびついた地帯)」のような地域が生まれるのか。なぜ南北戦争は起きたのか。なぜイラク戦争のような道義的正当性に乏しい戦争が起こるのか。

本書はこのような問いに対して、かなりよい答えを与えてくれる書物だと思います。

訳者あとがきによれば、著者のコリン・ウッダードは今年(2018)年に50歳になる、比較的若手の歴史研究者で、これまでに何冊かの書物で知られているようです。恐らく本書が初の邦訳になると思われます。

ウッダードの視点が大変優れているのは、「アメリカ」という国を、その建国の経緯までさかのぼって、どのようなアイデンティティを持つ人々が、どのような場所に入植を始めたか、その最初期の決断こそが、現在に至るまでの「アメリカ」という国を形作る決定的な要因となった、としていることです。これは、私自身、目からウロコの体験でした。

というのは、私たち日本人は、そのルーツに関する歴史資料を非常に限られた範囲でしか持っておらず、殆ど辿り得ないのに対して、アメリカという国は最初期の入植から考えても400年程度と非常に若く、歴史資料が揃っていますし、何よりもこの国が、「歴然たる多民族国家」であるという、日本とはいささか事情が異なることが理由として挙げられると思います。

実際、ウッダードは、アメリカの歴史とは、11にもわたる「ネイション」が形成され、相互に牽制し合い、時に協力し、時に敵対しながら、ぎりぎりの所で連邦国家を維持してきたその過程である、とみなしています。彼によれば、アメリカという国は、民主党か共和党か、保守かリベラルか、根本主義的プロテスタントかそうでないか、と言った従来語られる軸では到底語ることはできず、むしろ「ネイション」こそがアメリカの本質なのだ、と語っています。そして、その議論が便宜上のカテゴライズではなくて、歴史的経緯に基づくものであることを様々な資料を駆使してある程度実証して見せたのが、本書の素晴らしい所だと思います。

私を含め、大方の日本人にとって「アメリカ」という国は、「ある程度の分断こそあれど、USA!USA!と連呼するあの人々を見れば、国としては非常にまとまった国なのだ」という印象を抱いているのではないかと思います。しかし、本書を読むとそのような見方は幻想に過ぎないことが良く分かります。素顔のアメリカは、ソ連のような「何もかも違うネイションの寄せ集め」にすぎない、ということが見えてくるのです。ウッダードは実際、終章において、今後40〜50年後のアメリカの未来について、かなり悲観的に述べ、アメリカが四分五裂して、EUのような緩やかな地域国家連合になることも大いにあり得る、と述べています。これは我々日本人にとっては非常に衝撃的な見解ではないでしょうか。

現代の日本という国は、良きにつけ悪しきにつけ、アメリカという国に従属的な立場で存在していることは、疑いようのないことでしょう。ところが、40〜50年という、国レベルで見れば比較的短いスパンでアメリカという「連邦」が解体される可能性があるとすれば、それが現実となった場合に日本にどんな影響があるのか、私には予想が難しいものがあります。しかし、本書を読むと、そのような「未来」も決して夢物語ではないという気がしてくるのです。それほどに「ネイション」の存在はアメリカにおいて大きい、と。

ところで、本書を読んで、興味が深まったことがあります。それは、「11のネイションを形作った人々は、イギリス・フランス・ドイツ、スペインなどのヨーロッパ諸国の人々とメキシコなどの中米の人々であって、彼らが自分たちの国のしきたりをそのままアメリカに持ち込み、それが200年経った今でも維持されている」という現実です。とりわけ、「大英帝国」を形作っていたイングランド・アイルランド・スコットランドの人々の地域性の違い。これが大きいファクターになっている、ということです。

このことは、裏を返せば、「アメリカという国を理解するには、その母体となったヨーロッパ、とりわけイギリスという国の民族性を理解しなければならない」ということです。アメリカは真空状態から生まれたのではなく、母体となったものがあったのです。これはあらゆる国にも言えることかも知れませんが、アメリカの場合は、1700〜1900年というかなりの「近代」に、余りにも異質な人々が生み出した国、という点がきわめてユニークです。ですから、その背後にいた人々の歴史や民族性や文化を知らないと、アメリカを理解したことはならないと思うのです。

ちなみに、本書はキリスト者にとっても非常に興味深い書物であることは間違いありません。なぜなら、それぞれの「ネイション」の背後には、特定のキリスト教神学が付随しており、それが対社会、対政治、対外国といった基本的なあり方を規定してたことが、明らかにされているからです。例えば、アメリカ東海岸の北部に形成されたネイションの「ヤンキーダム」は、基本的にピューリタンであり、「ニューイングランド」の建設を至上命題とし、教育と機会均等を指向して、理想社会の実現に邁進したとあります。これは改革派の神学そのものです。

これに対して、メキシコ湾岸に形成されたネイションである「深南部」はバプテスト派の神学に立ち、個人主義を指向し、国家の個人への関与は最小限にし、社会の救済よりも個人の救済を優先させ、聖書の(誤った)解釈に基づいて奴隷制を神の意志と理解したがゆえに、ヤンキーダムとはことごとく対立することになり、現在に至るまでそれは継続していると言うのです。これが南北戦争の直接的な要因になったとまで言うわけです。つまり、アメリカの南北対立の根本にあるのは「聖書理解」だということが見えてくる訳です。

これは私にとっては非常に新しい視点を与えてくれるものでした。というのは、私たち日本のキリスト者から見ると、アメリカのクリスチャンたちの行動原則は、しばしば理解不能に映るからです。例えば、平均的な福音的日本人クリスチャンは、オバマ大統領とトランプ大統領を比較すれば、どう考えてもオバマ大統領の方が「まとも」だと考えます。ところが、アメリカの福音的なクリスチャンは、トランプ大統領を支持する訳です。この理由は、同性婚や妊娠中絶に対する立場の違い、と従来解釈されることが多く、私もそのように理解してきましたが、本書を読むと、それが根本要因ではない、ということが分かります。ネイションの違いからくる、思想信条の根本的相違が土台にあって、それはちょっとやそっとでは動かないほど根深いものである、ということが分かってくる訳です。

日本のキリスト教界は、様々な意味でアメリカのキリスト教界から大きな影響を受けています。日本にあるプロテスタント教派の大半が、アメリカにルーツを持つことからしても、それは当然のことです。そのような私たちでありながら、これまで、アメリカという国をあまりに理解しないまま、その神学だけを輸入してきたのではないか、と思うことが多くあります。本書を読むことで、アメリカの神学的潮流は「ネイションの相違」と切り離すことはできないのだ、ということが分かると思います。そして、そのような経緯を理解した上で、時には批判的、批評的に吟味する努力を怠らないようにしなければならない、と思います。

以上のような意味で、本書は有益な洞察を与えてくれるものと考えています。ぜひお読み下さったらと思います。

なお、下巻は以下のリンクからどうぞ。

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