オバマ大統領のイースター礼拝出席の記事で感じたこと

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昨日はイースター礼拝が世界中で祝われたことかと思いますが、アメリカのオバマ大統領も家族で礼拝に出席したそうです。CNNの日本語版に以下のような記事が掲載されていました。短い記事ですので、まずはお読み頂ければと思います。

CNN.co.jp:オバマ大統領一家、イースター礼拝に出席

読み終えて、少々違和感を禁じ得ませんでした。以下のような点についてです。

1.礼拝開始時刻に遅れて到着している

 セキュリティ上の理由があるのか、あるいは単に遅れたのかは分かりませんが、遅刻は遅刻です。神様の前に出る、ということの意味の大きさが、軽んじられているように思います。私たちの教会の週報では、礼拝開始15分前には着席して黙想しつつ心を整えましょう、と記載してあります。主の前に出るということの持つ重さゆえ当然のことだと考えるからです。ですからこのことは、オバマ大統領個人の信仰がその程度のものだということを表す、一つのサインと見て良いかと思います。

2.礼拝に遅刻したにもかかわらず、会衆から盛大な歓声と拍手に迎えられている

 非常に違和感があります。すでに礼拝は始まっているにもかかわらず、その進行を一時中断して、「大統領閣下のおなり~」とばかりに会衆が熱狂する。彼らは一体誰に対して礼拝しているのでしょうか? 神様を礼拝しようとしているのか、オバマ大統領に会いに来ているのか。どちらなのでしょう。そもそも、神の前では大統領であろうと一般市民であろうとホームレスであろうと、全く平等なのです。主イエスがパリサイ人を強く非難したのは、彼らの特権意識や人を区別して考える考え方に対してのものがメインでした。ところがこの教会では、オバマ大統領を特別に扱っている。そこに違和感を感じるのです。
 それでも、「我ら合衆国の代表なんだから」ということで、歓迎するのもありだとしましょう。実際、私たちの教会でも、新来会者を紹介し、拍手で歓迎することは行っています。しかしそれは礼拝の最後の報告の時間、あらかじめ決められた時間に行うのです。この教会では、すでに開始されている礼拝を中断して、彼一人のために盛大な歓迎がなされている。当日の新来会者はオバマ氏ただ一人だったのでしょうか? そうではないと思います。やはり、このような特別扱いは、教会の中にはふさわしくないと思います。

3.説教者が説教の中でオバマ大統領に言及して持ち上げている

 この教会の牧師がオバマ大統領を指して語った「最も知性的、最も神聖、最もカリスマ性のある大統領」という言葉には驚かされます。特に真ん中の「最も神聖」という言葉を聞いた時は、私は「この牧師はどうなっているのか」と思ったほどです。ただの人間に対して「神聖」という言葉を牧師が用いるとは、私には考えられないことだったからです。気になって原文を探してみました。以下にありました。

Obamas attend Easter service at local church

 上記の原文によれば、該当する部分は「most intelligent, most anointed, most charismatic president」です。この「anointed」というのは、直接的には「油注がれた」という意味であって、「神聖な」などという意味はありません。辞書にも登場しません。恐らくCNN日本語版の翻訳者はキリスト教用語に疎い人物で意味が良く分からなかったため意訳したものと思われますが、キリスト者の立場から言わせてもらうならば、これは「ありえない誤訳」以外の何物でもありません。こういう誤訳が、キリスト教の本質に対する誤解を呼び込んでいるかと思うと、残念な思いがします。
 けれども、私が気になったのは、誤訳部分だけではありません。より大きなことは、「説教者が講壇からある人間を誉めるということは、説教にふさわしいとは思えない」ということです。私が今回の記事の中で個人的に最も違和感を感じるのはこのことです。説教とは、神のことばが聴衆一人ひとりのうちに生きて働くよう解き明かす、ということであるべきです。というのは、この場合オバマ大統領とて聴衆の一人に過ぎないからです。ですから、説教者が講壇から聴衆の一人を名指ししてその功績を語るような真似は、慎むべきだと思います。たとえそれがどんなに偉大な人物であったとしても、です。なぜなら、人間の栄光など、神の栄光の前ではちりに等しいからです。説教は、専ら神の栄光のために行われるべきものです。

結論

 今回の記事を見ていると、それを報道したのがCNNというキリスト教に対してやや偏見を持っているメディアであるということを割り引いてもやはり、アメリカ的キリスト教の持つ聖書の本質から外れた信仰姿勢を感じずにはいられません。そして、日本の教会はそのアメリカの影響を強く受けています。特に私たち福音自由教会はそうです。 しかし、いつの時代であろうとも、教会は神の言葉を第一とする群れであり、キリストの歩まれた道を真似る群れであるべきです。

私がこのようなことを書くと、「いいじゃないか、そんな些細な問題で」と眉をひそめる方もおられるでしょう。けれども、これは決して小さな問題ではないと言うことは、覚えておいて頂きたいと思います。礼拝は信仰の本質であり、礼拝にどのような心で出るかということは、その人の信仰や群れの健全さを表す揺るぎないバロメーターだと私は確信しています

真実な礼拝が、日本でもアメリカでも、世界中でささげられることを願ってやみません。

コメント

  1. ミスターSSS より:

     まったく同感です。私も新聞報道などで時々感じるのですが、アメリカの宗教観も、もはや仏教の宗教観に近くなっているのではないかと感じます。
     私は最近、日本のカトリックに関わった人と会いましたが、カトリックもかなり「人間不信」になる教派だというのが改めて分かりました。
     この私のような「超不良クリスチャン」が、かどっちさんという「先生」に説教するのも気が引けますが、上述のようなものの見方で、誤った宗教観を今後もバシバシ叩いて頂きたいと思います。
     そもそも最近日本にも浸透している口癖「オー・マイ・ゴッド!」っていったいなんなんじゃい、と思います。
     ところで話は変わりますが、このブログにレスしたのは反映されない、もしくはすごく遅くなると言うのは、改善できないんですか?

  2. 管理人 より:

    コメントありがとうございます。
    レスが遅い件ですが、最近スパムコメントが増えてきたため、承認制とさせて頂いています。私が公開のボタンを押すまで表示されない仕組みです。そのため反映されるのが遅い場合があります。
    スパム排除のためですので、ご了承頂ければと思います。

  3. mitch より:

    滑稽な記事ですね。
    なんだか。なぁ。と思います。
    別に来てくれと頼まれたのでもないのでしょうし。
    ていうか、拍手とかされたときに。
    私に拍手しないでください。という一言くらいでないもんですかね。
    まぁ。本質的に、信仰しているということではないのだろうなぁ。
    と思います。
    もう何年も礼拝なんぞには顔すらだしてない俺がいうのもおかしいのでしょうが。
    私は、いつも敢えて遅れて行き、一番後ろに座っていました。
    礼拝に出たいのも一つ。誰とも関わりたくないもまた一つの理由です。
    まぁ。私は健全なクリスチャンでないのですが。
    そのことを、ある人に言及されたのが。
    全く通わなくなった理由の一つだったことを思い出しました。
    人の迷惑になるなら行かないほうがいいじゃない。ってな感じで。
    わけわからないコメントすみません。